今から半年以上も前、1月にオンネトーの「野中温泉」に泊まった。
余計なものが一切ない、シンプル極まりない温泉宿。
久々にいい宿に出会えた。
最近、「断捨離」という本がベストセラーになってるが、
それを地でいくような経営スタイル。
(下の写真は4月に再訪した際に撮影したもの)
泊まったときに書いた旅行記風のものを以下に。
時間のある方は読んでみてください。
そして、この宿が自分の波長に合うな、と思う方は是非泊まってみてください。
2011年2月21日 札幌から車を走らせること約5時間。午後6時半に目的の地に辿り着いた。予約を入れてある温泉旅館の建物を見つけ、車を駐車場にまわす。既にあたりは真っ暗で、やや苦労して宿の入口を見つけるも、玄関の自動ドアは電源が切られており、おそるおそる手で開けて中へと入る。玄関の中もほとんど電気がついていない。まだ午後6時半である。本当にここが入口なのか。予約は間違いなく入っているだろうかと不安になる。
それでも無事にチェックインをして、客室へ入る。事前の想像とはだいぶ違って、リニューアルされてまだ数年といった感じの、とても明るく綺麗な部屋であった。
まずはクリアファイルに入った宿の案内書に目を通す。仕事柄、あちこちのホテルや旅館に泊まると一応、宿の案内書には目を通すのだが、たいていは整然として且つ無機質なものか、粗雑な作りかのどちらかだ。しかしこの宿のそれは、それを読む客の立場にたって、丁寧に編集されたものであった。この宿の主人が女性であることを事前に知っていたのだが、なるほど女性らしい、そして誠実な人柄がそのまま表れているかのような案内書で感心した。
夕食の時間になり、料理が運ばれてくる。たいていの宿がそうであるように、天ぷらはきっと冷めているのだろう、と覚悟しつつ口に運ぶと、これがしっかりと温かい。サクッと軽く揚がっていて、それでいてふわっと柔らかい。アイヌネギの天ぷらもある。この冬の時期でも、苦労して提供してくれる心配りがうれしい。
僕は往来、カツオの生臭さがあまり好きではなかったが、ここで出されたカツオのたたきは不思議と生臭さが全くなく、初めておいしく食することができ驚いた。
いもの揚げ物もモチっとしていておいしい。ダシに浸し、ネギを散らしてあるのが細かな心遣いだ。豚バラ肉の蒸しものは、さっぱりとゆず胡椒をきかせて、ごまタレでいただく。幅広で厚みがある蕗の煮物もおいしい。そして福神漬けがおいしい。色も初めて見る自然な色。どこで仕入れるのか知りたくなる。具たくさんの味噌汁にもわざわざ三つ葉を散らして、ここでも手を抜いていない。
そして、かぼちゃのグラタン風が絶品!思わずうなってしまった。必ずもう一度食べたくなるおいしさ。
宿の女性主が選んだのであろう食器のひとつひとつも、素朴で好感が持てる。盛りつけはいずれも微妙に加減された、やや少な目の量。料理全体の構成もそうだが、年配者への配慮を感じる。そしてあらためて、女性が考え、作った料理だとわかる。ということは、女性の評価もきっと高いのだろう。
それにしてもこの客室は極めてシンプルだ。本当に物が少ない。ティッシュもない。時計もない。どうしても必要な物以外は置かない、という宿側の意志が感じられる。
そのことは風呂に行くと、もっと明確にわかってくる。どこにも一切貼り紙がないのだ。普通なら、脱衣場なら「盗難に注意」、浴場内は「滑ります注意」に始まり、あれするなこれに注意と貼り紙だらけのところが多い。何か事故があるたび、あるいは客から不平不満が寄せられるたびに増えていくものだろう。謂わば、貼り紙は言い訳であり逃げ口上だ。
ちなみに、この宿の風呂は体を洗うカランもないし、浴槽に手すりもない。何かと日常と異なる要素や不便な点が多い。きっと客からそれを指摘されることも少なくないはずだ。それでも、そうした貼り紙で逃げることを一切しないこの宿の主は、相当肝が据わっている。長年、宿泊施設の経営側にいた僕としては、そうした凛とした姿勢に、大いなる尊敬の念を抱いてしまうのだ。
客室から風呂に行くまでの長い通路の壁には、この地の自然とこの宿をこよなく愛する人たちの写真などが飾られ、宿の歴史と共に、この宿がどれだけ多くの人たちから愛されているかが感じ取れる。
温泉の素晴らしさは言葉には尽くせない。湯には石油の匂いにも似た、独特の力強い香りがあった。露天風呂は「将棋が差せるくらいの」温度で、静かに満点の星空を眺めながら、長い時間浸かることができた。
風呂から部屋に戻る前に、廊下の自動販売機で缶ビールを1本買った。ところがそれがいまいち冷えていない。でも僕は、それを誰に知らせるわけでもなく、自分で部屋の窓を開け、屋根に積もった雪で冷やして飲んだ。窓から見上げると、そこには満点の星空があった。この宿が無駄な電気を灯さない理由も少しわかった気がした。
何だか僕はとても満ち足りた穏やかな気分になり、その晩、部屋のテレビはついに一度も電源を入れなかった。
普段は興味のない、部屋の壁に飾られた額入りの書なども気になってくる。後日調べてみると、それは北原白秋の『海豹と雲』の誌。
『ここに父を連れて来たい。』そんなことを、宿に泊まりにきて、生まれて初めて思った。そんな自分に少し驚いた。どうも僕は本当にこの宿が気に入ってしまったらしい。
(オンネトー 野中温泉にて)