地域差

18 1月

私は北海道札幌市で生まれ、5歳で札幌の隣町である江別市に転居しました。その後、小学3年生で父の仕事の関係で千葉県千葉市に引っ越しました。当時(1970年代)は国の環境規制が今よりもずっと緩く、臨海工業地帯からもうもうと排出される煙やディーゼルトラックなどの自動車排気で、空はいつも鉛色でした。空気が澄みきった北海道から千葉に引っ越してすぐ、私はある「違いに」気づきます。転向した小学校でのリズムが北海道の小学校とは明らかに違うのです。千葉の小学校では授業の進め方や校内活動のあらゆる場面で、テンポが速いのです。先生や生徒が話す言葉のスピードも、歩くスピードでさえ違うのです。転向してから一年くらいは授業についていくのが大変だったと記憶しています。
その後、高校卒業までは千葉県内に住み、一年浪人したあと横浜にある大学に進学しました。大学在学中はアパートを借りて一人暮らし。途中寄り道もあって大学には6年間在籍しました。こうして私は小学3年から大学卒業までの17年間を首都圏で過ごしました。高校時代は毎朝通勤通学の満員電車に乗り、休日はたまに東京都内に遊びに行き、大学時代は横浜と東京が生活範囲でした。大学を卒業してからは、大半を北海道内で勤務して、かれこれ30年ほど経ちます。自分がすっかり北海道民気質になったかというと、どうもそうではなく、都会の感覚と地方の感覚が半分半分のような気がしています。多感な成長期を首都圏で過ごしたため、私の性格形成上、都会で感じたことや経験したことが少なからず影響しているように思います。

社会人のスタートは北海道でした。Uターンです。十勝の新得町にあるリゾート施設に就職しました。田舎町でしたが、西武系のデベロッパーが開発したリゾートであることから、社員の多くは首都圏中心の本州出身者でした。そのためか、会社の組織文化としてはやや都会的であったと思います。
この会社を7年勤めたあと、同じ北海道でもさらに過疎の村にある小さなリゾートホテルに転職しました。本社は東京でしたが、事業所の十人ほどの従業員は私以外、全員が地元出身でした。人口千人ちょっとで、村からほとんど出たことがない人たちです。私は30代前半という若さで支配人として着任し、半数以上は自分より年上の地元出身者を部下として率いることになります。そしてこの後、大いに苦悩することになります。
着任当時、従業員は皆非常にのんびりしていて、仕事にもそれほど真剣味が感じられません。ホテルの業績が芳しくなかったため、支配人としての立場上、部下の仕事に対しても厳しさやスピードを求めました。ところが、部下にとっては、後から乗り込んできたよそ者の若造に、職場の平和な日々を壊された気分だったのでしょう。反感を抱かれてしまいます。さらに困ったのが、私がビジネスライクに業務上の指示をしても、それを個人的な攻撃や批判のように受け取られてしまうことが少なくなかったことです。決して部下の人格にフォーカスしたわけではなく、あくまで仕事のプロセスや結果に対して述べたつもりでも、そのようには受けとめてもらえません。
スピード感についても私と部下の間にはギャップがあり、ついイライラしてしまうこともありました。現地採用だった部下は正社員であっても給料が低く、パート従業員もいました。地元で働ける場所、収入を得る目的で入社しただけで、私のようにキャリア形成やビジョンの実現のために入社したわけではありません。仕事に対する「熱量」に、歴然とした差があるのも、当然といえば当然かもしれません。何度か部下との衝突を経験した後、私も少しずつ部下の価値観を受け入れ、多様性を理解するように努めました。3年ほど経って、ようやく同じ仲間として、少しは受け入れてもらえたように思います。

今の会社は大半が札幌出身の若い社員です。札幌といえば人口200万人の大都市ですが、北海道から一度も外に出たことがない社員も多く、気質としては都会と地方の中間くらいのように感じます。コニュニケーションはやや消極的で、明確な意思表示を避け、業績よりも職場の和を大切にし、挑戦意欲も控えめ。
私の気質はどうかと言えば、部下に対しては良く言えばクールでビジネスライク、悪く言えばドライで温かみに欠けるかもしれません。自分は社長で年齢も50代。20代の一般社員にしてみれば、威圧感がある存在でしょう。若き「どさんこ」たちに楽しく安心して働いてもらうためには、自分が職場にピリピリとした雰囲気を与えてはいけない。日ごろの言動に特段の配慮が必要だと思います。思ってはいるのですが、実行はなかなか難しく、努力が足りないと気づいては、反省するばかりです。

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